〈森岡 玉水〉
この度は、前代未聞のコロナ禍の中、指南の審査会を開催して頂きましたこと、誠に有り難うございました。齢九十とも成りますと、明日をも知れぬという事を実感せざるを得ぬ毎日を過ごしております。
思えば、私の茶道入門は華道入門と共に、父の強い勧めで始まりました。振り返りますと、当時原町に疎開されていらした高松浄月先生に昭和二十六年入門し、その後先生の帰京により、故渡辺仙玉先生に師事し、池之端へも通いました。そして、原町支部誕生に至り、副支部長を仰せつかり五十年という歳月が流れました。その間十数名の指南が育ち、その中には、娘・息子夫婦も含まれます。
今日、孫がこの様に指南の審査を迎えましたことは、私のたっての願いであると同時に大きな喜びです。無事、この日を迎えられました事にひたすら感謝致しております。
これからも、諸先生方にはどうぞ宜しくご指導頂けますよう、重ねてお願い申し上げます。
〈森岡 雲水〉
私が大日本茶道協会の茶道を習い始めたのは小学校五年生の時で、友人と共に母(玉水)から手解きをを受けました。大学及び卒後の十年間(札幌在住)は中断しておりましたが、帰省してから再開し、以後、細々ながら稽古を続け今に至ります。
私たちの流は、一般的な礼儀作法に加え、剣道の技と精神を基本として、丹田、気合い、呼吸を大切にする点前であり、容易に会得できるものではありません。
また、茶道自体、日本の伝統文化の集合体として象徴的なものです。その精神性は言うに及ばず、書、花、香。お茶、菓子、懐石。茶道具としての諸工芸の数々。茶庭、茶室等など。奥が深くかつ幅の広い内容が有ります。
実際、お点前の真髄を習得するのは至難の業ではありますが、母の厳しい指導の元、一歩一歩「継続は力なり」を心に刻む昨今です。
〈森岡 慎水〉
私がお茶を始めたのは記憶にはありませんが、物心つく頃にはおばぁちゃんはお茶の先生。土曜の午後はみんなでお茶のお稽古の時間。甘いお菓子と、お抹茶に惹かれて自然にお稽古を始めていました。せかせかしている日常とは離れ、お茶の時はゆっくり時間が過ぎるような感覚を覚えています。
心を落ち着かせ、季節を感じつつ、ひとつ一つを丁寧に行うお点前にはおもてなしの心が詰まっています。丹田、目、手という型からはじまり、今の草のお点前に至るまで、祖母の気合の指導は今も健在です。お茶の心から、お点前の所作の意味、節々で繰り出される格言、ひとつ一つが納得させられています。
今の時代、なかなか茶道というものに触れる機会がない中、このような環境で茶道を続けられていることにとても感謝しております。指南はゴールではなくスタートとして、祖母から伝えてもらったことをしっかりと身に染み込ませ、茶道で学んだおもてなしの心、感謝の心、作法、動作を日々の生活にも生かし、これからも精進して参りたいと思います。 |